2008年7月12日土曜日

ああ

最近思った。
やはり欧米の国で長い間留学などしていると、
欧米の文化や考え方に流される時があると思う。
僕はオーストラリアに留学しているが、
やはり欧米の人たちと色々話していると欧米の考え方などに
影響されることもあると思う。

しかし、あまり影響されすぎると、無能な外国かぶれに陥る可能性もある。
外国だからすごい。白人だから正しい。そんな考えを持っている日本人を
たまにちらと見かけるが、それは留学の一つの失敗例でもあると思う。
こうやって信じ込んで日本に帰った日本人は成功しないだろう。

オーストラリアの大学へ通い、オーストラリアにどっぷり浸かって、文化を吸収することは本当に大事であると思うが、一方日本の大学へいかないデメリットなども当然あると思う。日本に帰国した際、日本人として当然の教養がないようでは、社会でも成功しないだろう。それは日本社会のみならず国際社会でもだ。自分の国を知らず、世界をどう知るのだ?そんな風に思ってきたわけだ。海外に生活して長く、西洋のみがかっこいいと完全に信じ込んだ日本人、英語がしゃべれるからといって他の日本人を馬鹿にする頓珍漢な日本人。そういう人たちにであってきたが、そういうのは魅力的ではない。というより成功しない人だと思う。

そういえば、
僕は海外保険入っていて、たまに日本語医療センターに電話して治療を受ける(無料だから)。そこで電話応答する人は日本人なわけだが、ものすごく対応が悪い。「いまわからないのでかけ直す」4時間以上たっても一切連絡がなく、こちらから渋々連絡すると、相手は「すみません」の一言もなく、僕がかけ直してきて当然であるかのように応答してくる。しかもその応答も非常に失礼な物だ。日本語医療センターに電話して、3人中2人はこういう始末だ。よりによって、その人は日本人でオーストラリア人と結婚して、オーストラリアに長く滞在している人たちである。オーストラリアの文化を吸収してとけ込んでいるのはすばらしいが、日本人としての正確さ、丁寧さを完全に忘れた人間達だと思った。人間的に魅力なし。

僕はそういう風にはなりたくない。

その一心で最近は、日本語の本なり中国の古典なりを読んでいる。
日本人や東洋人としてのアイデンティティーは古い古典や戦前の書物などから現代に受け継がれているだろうと思う。
そういえば、
僕は中島敦氏の弟子を現在読んでいるが、実際注釈がないと全くわからないときもある。古典の深さや難しさに接した瞬間だった。

不善ある時は則ち忠を以て質となし人を以て衛となした。

とか、なんか高校時代にやったような古典が出てくると。。。
わからない時がある。しかしこれも訓練すればわかるようになるのだろう。
孔子のような偉大な人物になりたい。むずかしいだろうけど。
東洋の人間として生まれていた以上、東洋の考えを学ぶのも知っているのも当然だろう。

最近アマゾンで
神道とは何か
儒教
禅と日本文化
という3冊の本を注文した。

今度論語を親に送ってもらう予定だ。

なんとか僕は、欧米の文化吸収しつつ、日本人としてのアイデンティティーを保てる、うまくバランスがとれた人間になりたいと思っている。
そして孔子やソクラテスのように賢い人間になりたいな。

あーあ 妄想は続く。
そういえば、新しい本を読み終えた。
もし、日本が中国に勝っていたら。
という中国人が書いた本を読んだ。
まぁ、また新しく視野が広がったよ。

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